江戸時代の酒税

江戸幕府は酒造を統制するため当初酒株制度を導入しました。

酒造統制とは江戸幕府が酒造業に対して加えた規制と奨励政策のことです。

江戸時代を通して酒造の制限令は61回、奨励令は6回発せられています。

制限令は酒株の設定や寒造り以外の禁止、減醸令や運上金の導入、下り酒の江戸入津制限などです。

奨励令には勝手造り令や藩造酒の許可などがあります。

酒株は酒造株とも呼ばれており、江戸幕府によって導入された醸造業の免許制度の1つです。

将棋の駒の形をした木製の鑑札が発行されました。

酒株は表に酒造人の名前・住所と酒造石高が記載されています。

裏に御勘定書と書かれ焼印が押されました。

江戸幕府が初めて酒株を発行したのは1657年のことです。

酒株を保有していない者には酒造を禁止し、酒造人が造ることができる米の量の上限を定めました。

江戸時代において酒は贅沢品ではなく、特に東北や北陸などでは体を温めるための重要な生活必需品です。

米は日本人の主食であり、収穫量に限りがあったため、米の配分をどのようにするかが江戸幕府にとって重要な課題でした。

酒造りを自由にすると小規模な酒蔵が米を確保できなかったり、大きな酒屋が食糧米も酒に加工してしまう可能性があります。

江戸幕府は米を適切に流通させるため、酒株制度を設けて醸造業者に免許を与えます。

酒株を発行された業者は規模や生産能力に見合った米を、その年の収穫量や作柄に応じて公平に仕入れることができました。

米の豊作が続くと、米の価格が暴落します。

逆に飢饉が続くと暴騰する可能性があります。

豊作時に米を酒にすれば、市場の米の流通量が減るので相場を安定させることができます。

酒は貯蔵や輸送が簡単というメリットもあります。

一方で飢饉の際には米が不足するので、自由に酒造りを認めるわけにはいきません。

そのため幕府による酒造統制が行われました。

江戸幕府は当初、酒株制度を導入して酒造の統制を図りますが、1697年にはさらなる税収増を目的として造り酒屋に対する酒運上が課されます。

酒運上は酒価格のおよそ5割でした。醸造業における運上金は営業税や酒株(免許)の発行手数料などのことです。

運上とは近代の日本における租税の一種で、金銭で納付される場合は運上金と呼ばれました。

中世では荘園からの年貢を中央領主に貢納することを指します。

荘園とは公的な支配を受けないか、影響を排除した権力者の私有地のことです。

日本では奈良時代の律令制下で墾田永年私財法が施行されたことにより始まり、豊臣秀吉による太閤検地で終わります。

墾田永年私財法では有力者が新たに開墾した農地の私有が認められました。

平安時代にはまず小規模な免税農地で構成された免田寄人型荘園が増え、その後に皇室や摂関家、大寺社などの権力者に免税のため寄進する寄進地型荘園が増えます。

鎌倉時代には守護や地頭による荘園支配権の簒奪が行われるようになりました。

守護は鎌倉幕府や室町幕府が国単位で設置した軍事指揮官・行政官です。

地頭は荘園や国衙領(公領)を管理支配するために設置されました。

室町時代以降も荘園は存続しましたが、中央貴族や寺社、武士、在地領主などの権利・義務が複雑に絡み合う状況となり、惣村が出現して解体に向かいます。

惣村とは中世日本における百姓による自治的・地縁的結合による村落形態です。

戦国時代には戦国大名による支配が行われるようになったため、荘園は形骸化し収入源としていた公家は没落します。

最終的に豊臣秀吉による太閤検地で解体されました。

江戸時代には運上が小物成の1つとして租税化されます。

商業、工業、漁業など農業以外の様々な産業従事者に対して、一定の税率を定めて運上が課税されました。

小物成は一種の雑税です。

検知結果を記録した土地台帳である水帳に記載されず、年貢を納めない高外地に課税されました。

高外地とは江戸時代に村高に入らず年貢を納めない田畑や屋敷のことです。

村高とは検知によって定められた一村の田畑・屋敷などの総石高を指します。

江戸時代には村高が年貢や諸役負担の基準となりました。

検知を受けて検地帳に登録された高請地に課税された租税は本途物成や本年貢、年貢と呼ばれます。

小物成は明治維新後の1875年に廃止されることになります。

当時の日本全国における課税対象は1554種でした。

運上は一定の税率を定めて課税されます。

一方で冥加(冥加金)は特定の免許を受ける代わりに税率を定めず必要に応じて上納しました。

ただし時代を経るにつれて運上と冥加の明確な違いは失われていきます。

明治維新後の1869年に運上と冥加は現状を当分の間維持するとされました。

地租改正が進行した1875年に地方のおよそ1500種類の雑税が一斉に廃止されます。

その際に運上と冥加のほとんども廃止となりました。

ただし運上・冥加に代わって営業税や各種間接税などに転換されています。

代表的な運上と課税対象は以下の通りです。

水車運上:精米用水車
市場運上:町の市場全体
問屋運上:各種問屋
小漁運上:漁業
諸座運上:各種商業団体
鉄砲運上:漁師などが持つ銃
酒運上;酒造業者
長崎運上:長崎貿易に関与する商人

江戸幕府は1697年に税収増を目的として酒運上を課しましたが、酒屋たちは生産を控えるようになり、税収はあまり増えませんでした。

生産量が減少して酒の値段は高騰します。

しかし一般庶民が飲酒量を少なくすることもありませんでした。

1709年に酒運上は廃止されています。

ただしそれ以後も冥加金として復活することになります。

また、各藩でも独自に酒税を定めることがありました。

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