酒類総合研究所は広島県東広島市にある財務省所管の独立行政法人です。
明治時代に設立された国立醸造試験所が起源で、酒類に関する研究を行っています。
1894年から翌年にかけて日清戦争が行われました。
その後の軍備拡張と官営企業に対する財政支出の増大に対応するため何度も増税が実施されます。
1901年には日本全国の酒造組合などが研究費の国費負担を求めて、農商務大臣に醸造研究所の設立を建議しました。
同年7月に、農商務省は日本酒醸造改良実験及び講習所設置委員に対して調査命令を出します。
1902年3月7日、第16回帝国議会で酒造税法改正と酒釀研究所に関する請願が行われ、4月には農商務省に醸造試験所設立事務取扱所が設置されます。
1904年の閣議決定で醸造試験所は大蔵省の所管とされました。
同年5月9日には醸造試験所が現在の東京都滝野川に設置されます。
1905年からは清酒製造関係の技術者を対象とした醸造講習が始まりました。
1911年には第1回全国新酒鑑評会が開催されています。
醸造試験所は1943年11月に大蔵省主税局醸造技術課となり、さらに1945年には大蔵省主税局醸造試験所となりました。
1949年6月1日には大蔵省の外局として国税庁が発足します。
醸造試験所は国税庁の酒税課が所轄することになりました。
1959年に4月13日には国税庁直属の研究機関とされます。
1962年には第1回全国洋酒鑑評会が、1977年には第1回全国本格焼酎鑑評会が開催されました。
1995年7月10日、醸造試験所は広島県東広島市に移転します。
これは東京への行政機関の一極集中を避けるためです。
東広島市に移転すると同時に名称が国税庁醸造研究所へ変更されました。
2001年4月1日には独立行政法人化され、現在の独立行政法人酒類総合研究所になります。
2015年には東京事務所が東広島市にある本部と統合されました。
1900年頃の日本では殖産興業の一貫で鉄工業などと並び醸造業の発展が図られます。
そのため1904年に大蔵省管轄で醸造試験所設立されることになります。
当時の日本の醸造業は未熟で、よい製品を作るには偶然性に頼らざるを得ない状況でした。
仮によい製品が作れても、同じものを再び作るのは困難であり、科学的再現性を実現するため官営の醸造試験所が設置されます。
醸造試験所は1909年に山廃酛を、1910年には速醸酛を考案しました。
さらに1911年には第1回全国新酒鑑評会が開催され、1913年には醤油の醸造講習も行われるようになります。
・山廃酛と速醸酛とは
米を発酵させるための酵母を増やす工程は、杜氏や蔵人の言葉で「酛立て」と呼ばれます。
大量の米を発酵させるには大量の酵母を育てなければなりません。
酒蔵では少量の協会系酵母を特定の環境下で育成します。
協会系酵母とは日本醸造協会が頒布している酵母のことです。
大量に培養された酵母は酒母や酛(もと)と呼ばれます。
酒母造りは生酛系と速醸系の2種類に大別することができます。
生酛系と速醸系の違いは、乳酸の加え方にあります。
酒母を造る際にはタンクの蓋を開けた状態にするため、空気中から雑菌や野生酵母が入ることがあります。
硝酸還元菌や乳酸菌を加え、乳酸を生成させると雑菌や異性酵母を駆逐できます。
山廃酛は生酛系に属する日本酒の製法の1つです。
山卸廃止酛が正式名称ですが山廃仕込みや山廃などとも呼ばれます。
生酛系の酒母造りの製法は生酛と山廃酛に分類できます。
生酛は最も古くから続く日本酒の製法です。
乳酸菌を空気中から取り込み、乳酸を作らせて雑菌や野生酵母を駆逐します。
酒母になるまで1か月ほどかかります。
工程が長く完全発酵させるため、手間と時間がかかるのが特徴です。
コストの面から敬遠されることもありますが、成功すればしっかりとした酒質になります。
伝統を復活させるため生酛を採用する酒蔵も増えています。
生酛は腐敗や酸敗のリスクが大きかったので、1909年に国立醸造試験所によって山廃酛が開発されました。
山廃酛で醸造された日本酒は山廃仕込みや山廃と呼ばれます。
生酛から山卸の工程を省略したものです。
ただしたんに山卸を省略しただけではなく、その他の作業にも小さな違いがあります。
山卸とは米と麹、水を櫂で混ぜる作業のことです。
酛すりとも呼ばれています。
速醸(速醸系)とは乳酸を予め人工的に加える近代的な製法です。
1910年に国立醸造試験所によって開発されました。
仕込み水に醸造用の乳酸を加えて、十分に混ぜ合わせた上で掛け米と麹を投入します。
この方法だと2週間ほどで酒母を造ることができます。
現在生産されている日本酒の多くは速醸酛です。
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